元スタッフ 自己紹介

”戦いの本家は我にあり…”

2009/06/10(水) 日々の事

桶狭間古戦場の主戦場は、緑区(5月20日のブログに載せましたが…)か豊明市か、未だにその結論は出ていない。

国指定の史跡は豊明にある。この事実が長年に渡り豊明に桶狭間論争での優位性をもたらして来ました。

国史跡のおかげで『豊明市を知らなくても桶狭間の名を出せば解ってくれる』ようになった。

織田信長がわずか3,000の軍勢で今川義元の軍勢25,000を破った『桶狭間の戦い』まだ尾張の統一すら出来ていない信長(当時若干27歳)が尾張の侵攻してきた、義元を迎撃、みごとに撃破して討死させた。この合戦を機に信長は破竹の勢いでその勢力を拡大する事になる。

その戦いとはいくつかの偶然と作戦。又、相手の戦(いくさ)による疲れ切った油断。又、突然の豪雨までも味方にしたと言われている。

6月6日の『桶狭間古戦場まつり』では、今川義元ら犠牲者になった兵士を弔う仏事を実施、高徳院(豊明市栄町)などで供養祭が行われ、義元の墓前に手を合わせた。

上の写真が史跡桶狭間古戦場で、下の写真は高徳院です。

次回は、続編として『まつり』のもようを…

            工務店が造る外断熱「共和の家
               (現場 森 俊二)

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